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大学4年間、大きな成長を遂げた


ボールパーク便り  柳裕也〜感謝〜D 日本一特別インタビュー  

 
 10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受けた柳裕也主将(政経4=横浜)。横浜高から明大に進学。3年次にはエースになり、今年からは「エース」兼「主将」としてチームをけん引した。通算22勝、春は投手3冠に輝いた柳が残した実績は、OBの川上憲伸氏(平10商卒)、野村祐輔選手(平24商卒・現広島東洋カープ)に匹敵する。本企画では、紫紺の歴史に名を刻み続ける柳選手の素顔に迫ります。

 最終回は柳選手に明大での4年間を振り返っていただきました。(この取材は11月25日に行われたものです)


悲願の日本一を達成した
悲願の日本一を達成した
――神宮大会、日本一になれた理由は何でしょうか
まず1試合目に勝ったんですけど、チームとして声が出てなかったりとか、試合の中での雰囲気が全然良くなかったです。それで試合後とかに首脳陣からも強い指摘があって、そこに対して自分も試合中ずっと感じていたので、試合後にみんなに「これじゃ絶対に優勝できない」と言いました。この神宮大会に限らず、春秋のリーグ戦もそうですけど、勝ちながらも反省しながらそれを次に生かしていくことをできたことがよかったと思うので、それが神宮大会でもできたということですかね。(3試合を通して成長)1試合目よくなかった雰囲気を、2、3試合目はしっかりとやれたと思います。

――今まで多くのタイトルを獲得してきて、日本一だけはなかった
そうですね、野球人生の中でも1回もなったことがなかったので。日本一取れてよかったです。(1、2年でも神宮大会で登板)1年生ながら投げさせてもらったんですけど、結局決勝で負けてしまって。涙を流す先輩たちをたくさん見てきて、やっぱり全国に出れてうれしいだけの大学じゃない、全国で優勝しないと意味がない、そこを目指しているチームなので優勝しないと意味がないし、勝って引退したいと思いました。リーグ戦はどっちかというとこれで負けたら引退というのはあまりないですけど、もう神宮大会は負けたら終わりなので、負けて終わるのは悲しいなと思って見ていました。

――春と秋でリーグ優勝後の雰囲気は違いましたか
リーグ優勝の喜びはどっちもうれしいですけど、春は優勝して結局全国1回戦で負けて。秋は今回は絶対に勝たないといけないと思っていたので、個人的には秋のほうがプレッシャーというか、やっぱり六大学を背負って出るので、そこの思いは秋のほうが強かったですね。(今年一番悔しかった試合は)関西国際に負けた試合ですね。他から見て明治1回戦負けかってなると思うんですけど、それも辛かったですし、他の六大学の選手、関係者の方にも申し訳なく思いました。やっぱり六大が一番だというのを見せていきたいので、その時は色んな人に本当に申し訳ないという気持ちがありました。

――そこからの練習の取り組みというのは
やっぱり春はどうしても打てなかったというのがあったと思うんですけど、春から秋にかけては特に野手が振り込んだりとか、夏場はめちゃくちゃ振り込んでいたので、そこは変わったと思います。(個人的には)春6勝して、全部タイトルを獲って、でも秋に向かう中で、やっぱり春と同じようにやっていたら同じような成績は残せないと思っていました。その中で日米とかハーレムとかあったんですけど、自分自身を鍛えながら、ケガもしないように休むところは休んで、春できたからこのままいこうという感覚はなかったので、トレーニングとかをより継続してやるようにはしました。

――大会前「今のチームなら日本一になれる」とおっしゃっていた
春の戦いと秋の戦いは違ったと思います。春はやりながらも1個1個必死に、やっとの思いで勝つという感じだったんですけど、秋はある程度野手も点を取って、ピッチャーもしっかり抑えてという勝ち方が春とは違いました。チームも1日1日経つごとにまとまっていったと思うので、このチームなら勝ち取れると思ってました。

ベンチから声を出し続けた
ベンチから声を出し続けた

――3試合、個人の成績は振り返っていかがでしたか
いやもう、全然だめっす(笑)。球も走らなかったですし、変化球も全然キレがなくて引っ掛けたりして。バッティングの調子が唯一よかったですね(笑)。でも最後の大会はみんなに勝たしてもらったという思いが強いので、感謝です。(大舞台での勝負強さが)ありますか?(笑)。最低限だと思います。でも日米とか去年のユニバーシアードもそうですけど、圧のかかるところで、しっかり投げれてきたので、それは日頃からの善波監督の人間的な部分の指導だったり、明治の伝統だと思うんですけど、そういうところが大一番で結果を出すには大事だと思うので、やっぱりそのおかげかなと思いますね。

――決勝戦のマウンドというものは
全国の決勝で先発できるのはうれしかったです。でも決勝はちょっと抑えなきゃ抑えなきゃという気持ちが先行しすぎて、初回はボールが集まりすぎて、自分まだまだだなと思いますね。(降板後はやっぱり悔しかったか)悔しかったですね。何とか5回までは投げたいと思っていたんですけど、リードされたまま降りちゃったので。個人的には悔しかったですけど、もう本当にチームが逆転できるようにやれることをやろうと切り替えていきましたね。(メガホンの先端が壊れていた)叩きすぎました(笑)。(味方の逆転劇を見て)ちょっと涙が出そうになりましたね、あの時は(笑)。やっぱり本当にみんなに支えられるなというのをあの時に感じましたね。

――試合後の涙の割合は
1対9ぐらいですね。1が勝って「やったー!優勝できたー!」っていうのと、9はもうこのユニホームでやることはないのかと、このチームの4年間というのが充実してないと涙は出てこないと思うので、明治のユニホームを着てやった4年間がこうこみ上げてきたというのが9ぐらいですかね。(勝って泣いたことはない?)高校の時もないと思うので、勝って泣いたのは初めてですね。出てきました(笑)。

――この1年間、主将というポジションに成長させられましたか
キャプテンというのがなかったらピッチャーとしてもここまで成長できなかったと思っています。例えばピッチャーだけやってたら自分自分ってなってたと思うんですけど、キャプテンをやったことで周りも見れるようになりましたし、いいピッチングというよりはチームが勝てるように考えを持てたと思うので、そこがピッチャーやりながらキャプテンをやらせてもらって成長できた部分かなと思いますね。

――新体制当初は周りが見えなかった
新チームが始まって、春先くらいまではオフシーズンなので、自分が来年の春結果が出るのかという、何をやれば結果が出るのだろうとか、不安になった部分はありました。チームもやっぱり3年の時は春秋負けていて、春も負けたら3回優勝を逃したということになるので、それだけはいけないから絶対に勝とうと思ってやる中で、自分ががーっといきすぎちゃって「何で俺はこんなに考えているのに、お前らそんなのもできないんだ、そんな態度でやってんだ」という時期もあったんですけど、でもみんなも必死になってやってるわけで、自分がそこでキャプテンなので、みんなのことよりチームのことを一番に考えるのは当たり前のことだと思うので、そこに対して自分と同じ熱をみんなに求めていくのは違うんじゃないかなと思って。そこからはもう自分がチームのことを一番考えるのは当たり前だから、周りに「なんで俺みたいに思ってくれないんだ」という考えは持たないようになりました。どうしてもオフシーズン中は色んな不安とかがあって、周りが見えていなかったと思うんですけど、そこから自分もチームも安定していったと思います。(そう気付かせてくれたのも周りの4年生か)そうですね、周りの4年生とかも自分も上手く分かってくれてやってくれたと思います。色んな相談もしましたし、時には喧嘩みたいにかーっとなってやることもあったんですけど、やっぱりこの同級生じゃなかったらできてなかったと思うので、特に同級生には支えられた1年だったと思います。

――理想のキャプテン像はありましたか
中嶋さん(平26法卒)、隼之介さん(平27法卒)、誠志郎さん(平28文卒)と3人見てきて、全員キャプテンのカラーが違ったので、理想はいなかったですね。誰のようにやっていこうというのは一切なくて、去年キャプテンになる時も誠志郎さんから「自分らしくやれ」と言われたので、もう自分らしく自然体にやろうとやっていました。(客観的に見ると)結構ふざけてますよ(笑)。下級生から見ても「あ、キャプテンの柳さんだ」というのはなるべく出さないようにというか、出すタイプじゃないので。寮とかでも1年生に対してふざけたりしますし、そこはちょっと意識してやったかもしれないですね。プレーの時は別として、後輩たちに対して普段の生活の時はそういうのを一切なくやっていくことがチームが一つになることだと思ってやってきました。特に1年生とかは、自分も1年生の時にそうだったんですけど、4年生のばりばり試合出てる人とかに例えば「おう元気か」「頑張ってるか」とかちょっと話しかけてもらうだけでもすごいうれしいと思うので。そういうのがあると、このチームで勝ちたいという思いが自分は強くなったと思うので、自分が1年生の時に感じたことを4年生になって、フレンドリーにというか、後輩がどう思っていたのかは知らないですけど(笑)、自分なりにキャプテンを演じるとかはなく和気あいあいと私生活はやってたつもりですかね。後輩と壁をつくりたくなかったですし、後輩たちにもそれいい伝統にしていけたらいいと思うので。自分が言うのも違うかもしれないですけど、昔は1年生と4年生は喋れないとかそういうのがあったと思うんですけど、時代も変わってると思うので、ふざけろというわけではないですけど、それを後輩たちもまた下にやっていけたらいいんじゃないかなと思いますね。

――1人で責任を感じてしまうことはあったのでしょうか
新チームが始まったころはそうでしたし、選手権で負けた時は自分だけじゃなかったと思うんですけど、あの時は一番責任を感じましたね。六大学の代表で負けた時はしんどかったです。

――「柳のために」がチームの合言葉だった
春から柳に負けはつけさせないみたいな感じでやってくれましたし、それに応えたいという思いで1年間やってきました。お互いがチームに応えたいという自分の気持ちと、チームメートが自分を支えてくれる気持ちが、こう上手くなっていったんじゃないかと思います。でもよく記事とかで「柳が勝たした」みたいな「今年の明治は柳があっての」みたいな、よく書かれがちなんですけど、自分的にはそんな感覚はなくて。チームメートがいなかったら自分もここまでなれてないですし、このチームじゃなかったらそこまで結果を出せてないと思うので、本当にみんながあっての自分というのは常に思ってましたね。

――「明治に何かを残したい」とおっしゃっていました
勝ち負けで言えば選手権は負けましたけど、リーグ戦は春秋連覇と日本一も残せましたし、こう目に見えない部分で言えばさっき言ったような先輩と後輩の関係だったり、それがチームを一つにすることだと思ってやってきていましたね。あとはやっぱり明治の伝統の人間力野球ってあると思うんですけど、他のチームの人が人間力野球とか言われてもわかんないと思うんですけど、たぶん明治の選手は何がというよりは何となくでもこれだというのはあると思うので、そういう伝統をつなげていけたのはあると思いますね。

――誇りを持ってユニホームを脱げる
そうですね、このユニホームに育ててもらったという感覚が強いので、本当に明治のユニホームに育ててもらったなという思いですね。

――4年間を振り返って、まず明治大学に進学した理由は何だったのでしょうか
社会人に行こうとしたんですけど、そしたら母親に人生で初めて反対されて。「大学に行きなさい」と言われて、今まで反対されることはなかったので大学に行こうと思いました。行くならやっぱりお金とかはかかると思うんですけど、一番レベルの高い注目度もあるところでやりたいと思って、それで六大学ってなって、色々調べていく中で明治の環境だったり、でも一番はこのユニホームを着て野球をやりたいと思ったのが明治だったので、そういう気持ちで決めました。

――入学前はどんなビジョンを描いてましたか
入学する前は投げれるんじゃないかと思っていたんですけど、関谷さん(平26政経卒)、福さん(平27政経卒)、上原さん(平28商卒)、一平さん(平27文卒)とかたくさんいて「あ、このままじゃ絶対投げれないな」と思って。同期に星(知弥投手・政経4=宇都宮工)も川口(貴都外野手・法4=国学院久我山)もいましたし、自分が思い描いていたのと全然違って。「すごいとこにきたな」というのがあって、相当頑張らないと思ったのが最初ですね。最初にいきなりなめてた部分はあったと思うんですけど、逆にそういうのを感じてなくて、すいすいすいってできていたら、こうなってたかはわからないと思うので…そこは感じれてよかったと思います。まだ1年生だしいいや〜っていう思えばいいんでしょうけど、やっぱり1年生のうちからそういう気持ちを持てたというのがよかったですね。

――転機になった試合は
あれは覚えてますね、1戦目に初めて投げた試合。早稲田に、相手が有原さんで…2年春に初めて1戦目に投げて、2戦目に先発するのとか、リリーフで投げるのとは全然違いました。これが1戦目で投げるということなんだというのをあの試合で感じて、1戦目に投げて勝てるピッチャーになりたいと思ったのも初めて投げたあの試合だったので、あの時の感覚は結構覚えていますね。1戦目を取るとチームも乗りますし、1戦目を取るというのがエースだと思うので、あの時にそういうのを感じられたのも良かったかなと思います。あとは3年の春から秋にかけて、春は全然だめでしたし、その後にユニバーシアードとか行かしてもらって、そこで色んな選手とやる中で、相当自分の意識も変わりました。それで秋は5勝できたので、自分の中で伸びた時期は3年の春から秋にかけてだと思いますね。

――一番うれしかった試合は何でしょうか
やっぱり最後じゃないですかね。個人どうのこうのというか、みんなに勝たしてもらったという思いが強いのは最後だったので、あの試合ですね。

――悔しかった試合は
いっぱいあります(笑)。3年秋の法政、あれ悔しかったですね。でも一番は関西国際ですよ。でもそれはもう話に出てると思うので(笑)。3年秋の法政でスクイズされて、周りが見えてれば外せましたし、先輩たちも勝たせられなかったという思いが強かったので、あれも結構悔しかったです。

――一番刺激を受けた人はどなたでしょうか
まず善波監督は人間的な部分ですごく鍛えてもらったと思うので、刺激を受けたというか、4年間善波監督の下でやれてよかったなという思いはありますね。選手で言えば福さんですかね、山崎福也さん。あの人を見てて、明治のエースはこういうことなんだというのを学んだ気がします。私生活でも本当によくしてもらいましたし、練習の時も相当意識してやってたと思うので、先輩で言えば福さんですね。(印象的だった出来事は)最後神宮大会で駒澤に負けた時に福さんが先発で投げててリリーフして、善波監督が自分にボールを渡そうとしたら「お前が自分で渡せ」って。福さんからボールを貰うときに監督が「次はお前がやっていくんだ」って自分はそう思っているんですけど、そんな感じでボールを福さんから自分に渡せって言ったと思うんですけど、その気持ちは自分も感じましたし、福さんもそういう気持ちで渡してくれたと思うので、あの時は胸にじーんとくるものがありました。気持ちつないで、頑張っていこうというふうに思いましたね。

――苦しくて泣きそうになったことはありましたか
ないです。苦しくて泣きそうになることはないんですよ。でも学年が上がっていくにつれて、責任とかも感じることが多くなってきて、どうしたらいいんだろうとか、うわーって思ったりとかしてたので、やっぱり4年の1年間はそうですかね。(大きなケガもなく挫折もなかった?)やっぱり3年の春が結構何もかも上手くいかなかったので、そんなの挫折って言ってたらここからどうしていくんだって感じなんですけど、上手くいかなかった時期は3年春ですね。3年春良くなくて、でもそれがあったからこそ、3年秋に向かっていく中で伸びたと思うので、意味のある期間だったと思っています。

――高校時代からマウンド上で表情を崩さない
必死なんで(笑)。でもそこも意識してやってますね。やっぱりそういうところからやらないといけないピッチャーなので、そこは高校の時から意識してました。

大学日本代表でも主将を務めた
大学日本代表でも主将を務めた

――チームのために投げる意識はずっとあったのでしょうか
自分がいい結果を出したいから投げるという感覚はなくて、やっぱりチームスポーツなので、いくら自分が投げても守備があってのピッチングだと思いますし、それは小学生のころから今後も変わっていかないと思います。

――勝てる投手になるためにやってきたことは
意識してたのは、まず5回までをしっかり投げる、試合を作る。まず5回は全力で絶対に0で抑えるという気持ちでやってきましたね。整備も挟むので、5回までとにかく試合を作ろうとやってきました。点を取られることもあるので、点を取られても次の1点はやらないとか、あとは守備からも攻撃のリズムは来ると思うので、無駄なフォアボールは出さないとか、テンポだったりとか、逆球を減らすとか、そういう部分も意識してやりましたね。

――技術面での4年間の成長は
まずは球が大学1年の時よりも、球の強さが出ましたし、変化球も特にカーブは1年生の時はあんな曲がり方はしなかったので、カーブだったりカットボールだったり、球種は全て伸びたと思いますね。牽制とかフィールディングとかは高校の時に相当やってきていたので、それを継続してやれたという感覚ですけど、投げてる球は本当に1個1個精度が上がったなと思いますね。あとはバッティングがよくなりました(笑)。(球種で何か参考にした選手は)あんまりいないんですよね。この人みたいにすごいなと思うことはいっぱいありますけど、じゃあこういうふうにやろうとはあんまり思わなかったです。自分の中ではよりバッターの近くでストレートのラインから散っていけるようにというのは一番意識しました。あとはカーブで高低とか目線を変えたりだとかというのは意識してやりましたね。

――柳選手の思う「エース」とは
自分がというよりは、周りが評価してくれることだと思うので、自分が1年生とか2年生の時にピッチャーの先輩たちをすごいと思ったように、後輩たちが「あ、柳さんすげえな」と思ってくれていたらもうそれでいいと思っているので。それを今度は後輩たちが順番にやっていけばいいと思っているので、そういう意味で先輩たちからバトンはつなげたかなと思います。

――入学当初の自分に言いたいことはありますか
入る前は本当に大学野球をなめてたんですよね(笑)。明治をなめてたんですよ、絶対に投げれると思っていたんですけど…だから「調子乗るな!」と言ってやりたいです(笑)。でもそれぐらいの気持ちがあって、うわやばいと思えたことが良かったんじゃないですかね。1年生の時からほのぼのとやるよりも、早い時期にやばいと思えたことがよかったと思います。

――常に自分に言い聞かせてた言葉はありましたか
言葉ではないんですけど、周りの人に対する感謝は、小さい時から色んな人に言われてきましたし、感謝の気持ちだけは忘れないようにやってきました。

――何のために野球をやってきましたか
野球を始めた時からプロ野球選手になりたいとやってきましたし、その時は自分がなりたいから目指してやるという感覚だったと思うんですけど、やっぱり野球を小・中・高・大とやっていく中で、色んな人に関わってこれましたし、色んな人にお世話になってここまでこれました。そういう人たちに恩返しをしたいだとか、活躍する姿が恩返しの姿になると思うので、今はお世話になった人たちに恩返しをしていきたいという思いでやっています。

――一番の支えになった存在は
家族ですかね。応援も来てくれましたし、自分にはわからないところで苦労があったと思うんですけど、苦労を見せずに打ち込ませてくれたので、これからは野球を頑張ってお金をしっかり稼いで、お金の部分だけではないですけど、これからは支える立場として支えていきたいなと思います。

――人間的な部分での成長はどういったところですか
礼儀は当たり前ですけど、一番は人との付き合い方ですね。大学に入って色んな人にお世話になりながら、先輩後輩に出会いながらやってこれた4年間だったので、人間としての幅が広がった4年間だったなと思います。前までは人に良く思われたいみたいな感じがあって、取材とかでもいいことを言おうとか、ちょっとかっこつけてやろうという感じだったんですけど(笑)、わりとこう社交的になれたんじゃないかなと思っていますね。

――善波監督に伝えたいことは
監督の人との付き合い方とかを見てて礼儀とかあいさつとか話し方もそうですけど、本当にそういう部分は見ながら学ばさせてもらいましたね。野球で活躍して恩返しするのはもちろんですけど、野球以外の部分でも監督の息子は野球やっているので、かわいがっていけたらなと思いますし、人としていいお付き合いをしていきたいです。

――同期
やっぱりこの同級生じゃなかったら、キャプテンもできなかったですし、こんなに充実した4年間にならなかったと思うので、本当に感謝の気持ちとこれからも仲間として色んなところで刺激し合ったりしていきたいと思います。一生の仲間でいたいですね。

――後輩
本当に可愛い後輩たちなので、強い明治というのを受け継いでいってほしいと思います。大学野球は終わりが来ると思うんですけど、同じユニホームを着て、同じグラウンドでやった後輩たちなので、野球が終わったあとでも人生は長いと思うんですけど、やっぱり後輩たちも仲間だと思うので、グラウンドの外でもいい仲間で入れたらいいなと思います。

――学生野球の醍醐味は何でしょうか
プロ野球はファンサービスがあったりそういう部分があると思うんですけど、学生野球は必死さですかね。あとはチーム一丸となってやることだったり、学生野球で周りの人への感謝とかも学べると思うので、そういうものだと思います。

プロ1年目、狙うは新人王だ
プロ1年目、狙うは新人王だ

――今後に向けて、野球が職になるというのはどういった実感ですか
ケガもできないですし、野球でご飯食べていかないといけないので。今まで以上にケガだったり、自分を鍛えることだったり、色んなことを考えながらやっていかないといけないなと思いますね。自分がいかにやるかの世界だと思うので、自覚を持たないとと思います。

――自分プロになるのか、と思う瞬間は
前までは学生の分際でサインを書いてくださいとかがあって、学生の分際なのにいいのかなみたいな感じで名前を書いていたんですけど、プロ野球選手はファンあってのプロ野球だと思うので、これで喜んでくれるんだなという感覚には変わりましたね。

――上の代から何か聞いていることはありますか
山さん(平28文卒)にこの前お会いして「プロどうですか?」って聞いて「しっかりやれば大丈夫だよ」って…でもあの人すごいので(笑)。でもそういうふうに言われたので、特別今そういった不安を感じるのではなく、しっかりやっていこうという気持ちになりましたね。

――憧れだった選手はいましたか
いないです。(目標としていた選手も)いないんですよね。(ファンだった球団も)ないんですよね(笑)。プロ野球見ながらすごいなと思うことはありますけど、この人を目標にとか憧れるなとかそういうのはなかったです。めっちゃ聞かれるときは誰だれですって言うんですけど、本音はないんですよね。ないタイプです(笑)。

――1年目の目標はやはり新人王
獲りたいですね、新人王。一つ一つやっていくことがつながっていくと思うので、それを必死にやって、結果がついてくればいいなと思います。甘くはないと思うんですけど、やっぱり先発ローテションで1年間やりきりたいですし、その中で2桁勝つのを目標にやっていきたいなと思います。

感謝を忘れずに次の舞台へ進む
感謝を忘れずに次の舞台へ進む

――1月の新人合同自主トレに向けてやるべきことは
プロの世界に行くんだという自覚を持って、日々の生活とか食事とかトレーニングとかは本当にすべて自分に返ってくることなので、そのへんの意識は高く持って、備えていきたいなと思います。今までとは全然違う世界だと思いますし、今までの経験が本当にいい経験ばっかりさせてもらったので、それを大事にしながらプロの世界でやっていく中で生かしていけたらいいなと思います。

――今の夢は何でしょうか
柳を見にこようと球場に来てくれる方がたくさん増えてくれればなと思いますね。

――最後にこれまで応援してくれた方、これからも応援してくれるファンの方へメッセージをお願いします
本当にたくさんの方に支えられて、応援していただきながら、明治のユニホームを着てやってこれました。本当に感謝の気持ちでたくさんです。これからも後輩たちが強い明治を受け継いでいってくれると思うので、応援していってもらいたいと思います。自分も明治で過ごした4年間をまたこの先の世界で大切にしながら、いい報告をしていけるように頑張っていきたいなと思っているので、これからも忘れないで応援してもらえればなと思います。

――ありがとうございました

◆柳裕也 やなぎゆうや 政経4 横浜高出 180p・80s 投手 右投右打

[土屋あいり]


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