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道  (8)齋田直輝・横手健  

 
 し烈なメンバー争いを経て、今年も16人が同じ箱根駅伝のスタートラインに立った。箱根駅伝という一つの目標に向けてそろった16人だが、ここまでたどってきた道のりはそれぞれ違う。箱根駅伝に憧れてきた者、通過点と捉える者――。それぞれどのような“道”を歩んできたのだろうか。

[号砲まで、あと1日!]



最終回の第8回は、齋田直輝(文4=伊賀白鳳)、横手健主将(政経4=作新学院)の二人です。

齋田
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 齋田にとって、憧れのスーパースターがいる。小6で陸上を始めたその年に、当時東海大1年生ながら3区で区間新(当時)を出した佐藤悠基選手(現日清食品グループ)だ。「すごい選手がいると思った」。箱根史に名を残す圧倒的な走りが、齋田の心に箱根への強い憧れを抱かさせた。小学校の卒業式で『箱根駅伝を走る』と宣言するほどの強い思いから高校の進学希望先は上野工業(現伊賀白鳳高校)一本。中学3年生の時には夏合宿に参加させてもらえるよう頼み込むほどの熱意で、都大路常連の名門の扉を叩いた。
 集大成の走りは恩返しの走りでもある。念願かなって上野工業に進学したものの実家からは遠く、通うのは困難だった。下宿先もなく途方に暮れていたところ、監督の伝手で高校から自転車で20分もかからない距離にある、陸上とはなんの関わりもない一般家庭にホームステイに似た形で3年間お世話になった。高校卒業後も連絡を取り続け、11月の全日本駅伝では5区の沿道にも駆けつけてくれたという。「親元を離れることの不安を1日で吹き飛ばしてくれた。陸上生活の全てをかけて恩返しをしたい」。今回が4年間で初めてのメンバー入り。支えてくれた人への感謝を込めて、憧れの選手と同じ夢の道を駆け抜ける。

横手
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 「箱根を走るなら明治でというのは決めていた」。横手は元々は根っからの野球少年。中学時代から季節限定で取り組んでいた駅伝での走りを評価され、悩みつつも高校からは陸上に取り組むことを選択した。昔からお正月に見ていた箱根駅伝に憧れはなく「関東で陸上を始めたからこそ、箱根を目指すのは当然」と大学で陸上を続けていけば取り組まなくてはいけない大会という位置付けでしかなかった。しかし、だからこそ大学選びは重要な意味を持っていた。横手らの学年が大学の進路を意識し始めるころ、ちょうど明大は箱根に復帰し、シード校として定着し始めるなど上り調子。「ここでチームと一緒に自分も成長していければ」という思いから、その他の強豪大からの誘いを断り明大に進学した。
 チームとともに自分も成長したい。その理想通りに過ごしてきたかと言われれば決して思い描いた通りではなかった。駅伝では前評判に見合う成績が出せず、2年次の箱根では5区19位。今年はトラックシーズンこそ華々しいタイムを出したが、その後は故障に苦しんだ。それでも「やってきたことは間違っていない」ときっぱり。悩み苦しんだ4年間。その最後に、「優勝」という目に見える結果でチームに貢献し、自らの道のりの正しさを証明してみせる。

◆齋田直輝 (さいた・なおき) 文4 伊賀白鳳高出 29分19秒70(1万m) 箱根駅伝とは「憧れ」

◆横手健 (よこて・けん) 政経4 作新学院高出 27分58秒40(1万m) 箱根駅伝とは「走らなければいけない大会」

[山舞]


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